泥 棒 に 罪 は な い



移ろいやすい春の空気は、いつもどこかで小さな嵐を起こす。上空の温かい風が、未だ居残ろうとする冬の残党を一掃しようと小競り合いを繰り返し、冬将軍が春の女神に勝ちを譲るのも時間の問題となった、そんな春の日の午後。

「うわ・・・っ」
巻き起こった突風に、清麿は思わず腕で顔を覆った。
せっかく咲き揃った桜の花が、空を薄ピンクに染める勢いで舞い上がって行く。そんな様を見上げていると、少し遅れて歩いていたガッシュが走りこんで来た。
「清麿、きよまろーっっ」
振り返ろうとしたその瞬間、ガツンという鈍い音と共に膝裏に衝撃を感じて、清麿はつんのめりそうになるのをかろうじて堪える。
「〜〜〜〜〜〜お前はッだから急にぶつかってくんじゃねーって・・・ッ」
「清麿清麿、きれいなのだ見るのだ!・・・ひだだだだだ痛いのだ!」
人の話を聞かない未来の王の両頬を、びよーんと引き伸ばして軽くお仕置きをすると、その手の中にあるものを見やった。
咲いたばかりの桜の花。1つだけではなく、いくつもの花と小さなつぼみが、ブローチのように並んで細い幹に繋がっている。
「・・・お前これ、まさか折ってきたんじゃないだろうな?」
少し硬い声で訊ねると、ガッシュはぶんぶんと体ごと頭を振った。
「違うのだ!さっきの風で飛ばされたのだ!落ちてきたのだ!」
「ああ、そっか」
清麿は、まだ名残の風の吹く空に眼を向けて呟く。頬を膨らましているガッシュの頭をくしゃりと撫でて謝ると、金色の子供はあっさりと機嫌を直した。
「すまなかったな。お前は花を盗るなんて事しないよな」
そう云うと、ガッシュは清麿を見上げつつ小首をかしげた。
「しかし、花泥棒は罪にならぬのであろう?」
幼子のマセた物云いに、清麿は思わず目をぱちくりさせて問う。
「・・・どこでそんな知識仕入れてくるんだオマエは」
「ティオが歌っておったのだ。恵の新曲らしいの」
そう云ってガッシュはくるくると踊り出す。ああ、と清麿は頷いた。この春のCMタイアップ。ゴールデンタイムを外さず流れるトップアイドルの歌声は、世間の流行りに疎い中学生の耳にも平等に入ってきていた。
もっとも、部屋に帰れば当のアイドル本人に手渡されたCDがあるのだから、疎いなどと云っていてはバチも当ろうというものだ。
清麿は、まだ踊っているガッシュの首根っこを押さえると、その目線まで屈みこんだ。
「花泥棒ってのは、そういう意味じゃねえよ」
「ウヌ?」
ティオといいヨポポといい、魔物の子というのはどうしてこうも歌や踊りが好きなのだろう、と内心首を傾げながら続ける。
「目で見て楽しむだけなら罪にならないって事。本当に盗んじまったらただの泥棒だ。自分は良くても他の人は楽しめないし、何より大事に育てた人が悲しむだろ?」
「そ・・・それはその通りなのだ」
ガッシュは雷に打たれたように硬直した。おそらく自分が大事に育てている「にょきまろ」のことでも思い出したのだろう。真ん丸な眼を更に見開いて、歯をカチカチさせている。そんな様子に、清麿は思わず吹き出した。
「そんな顔すんなって。コレは別に盗った訳じゃないんだろ?」
ん?と覗き込まれて、ガッシュは手の中の花房に目を落とした。
花の盛りのさ中、突風によって枝からもぎ取られたそれは、八分咲きの花の周囲に可愛い蕾が寄り添っている。さっきまでは祝福の花冠のようにキラキラしていたのに、今はなんだか囚われのお姫様みたいだ。
「・・・かわいそうなのだ」
「んー・・・」
すっかり眉の下がってしまったガッシュに、困ったなぁと清麿は内心で嘆息する。ことわざの正しい意味を教えてやれた所までは良かったが、ここまで感情移入されるとは思わなかった。と云って今更『その辺に置いとけばやがて肥料になる』などと、ミもフタもない科学的説明に逃げるのも気が引ける。
「・・・そうだ」
名案を思いついたらしい清麿に、ガッシュが顔を上げた。
「ドライフラワーにするんだよ。ほら、玄関にも飾ってあるだろ?あれ作ったのお袋なんだぜ」
そう云われてガッシュは思い出した。それはすっかり乾燥して紙のようになっていたけど、半分透けた花びらには、水を吸って生きていた頃とは違う愛らしさがあった。確かに、水に差した所で1日と持たない花ならば、ドライフラワーにするのも良いだろう。ガッシュの表情が、ぱあぁと明るくなった。
「わかったのだ!母上殿にお願いしてみるのだ!」
素直な子供は元気になるのも早い。つられて思わず微笑むと、ガッシュはしばし呆けたように口を開けた。清麿は自覚していないが、ガッシュに対してだけ見せる手放しの笑顔は、鈴芽あたりが目にすれば気絶必至の破壊力を持っていた。
「?どうしたガッシュ?」
気のせいか、ほんのり頬を染める幼子に声をかけると、ちょいちょいと手招きをされた。もっとしゃがめと云う事らしい。
しゃがんでようやく視線の合うガッシュが背伸びをしたと思うと、突然髪の中に手を入れられた。
「ちょ・・・ッなに・・・?」
慌てて耳の上をまさぐろうとすると、ガッシュがその手を掴む。勢いに押されて尻餅をつくと、さらに動けないようのしかかられる。
「取ってはダメなのだ!」
そう云って、妙に満足気に自分を見るガッシュ。その手の中には花は無く、自分の髪には今まで無かった違和感がある。と云うことは。
「おま・・・ッ取れよこれ!」
「ダメなのだ!よく似合っておるのだ!」
力ずくで取ろうにも、魔物の力で押さえつけられていては文字通り手も足も出ない。しかしいくら人通りの少ない道とは云え、天下の往来で子供と取っ組み合っている姿を、人目に晒すのはできれば避けたい。
「照れずとも良い。このまま帰ろうぞ」
こちらの気も知らずに上機嫌なガッシュに、清麿はがくりと脱力した。
「あのなぁッ、男がこんなもんつけてたら人がジロジロ見るだろーが!」
その言葉に、ガッシュは一瞬キョトンとし、そしてまじまじと清麿を見つめた。
先程までの子供然とした雰囲気を消したその強い眼差しに、清麿の頬が無意識のうちに上気する。相手は子供だというのに身動きを封じられ、押さえつけられた手首が熱い。
眼を逸らす事もできず、ただ金色の瞳に射すくめられる。片手は掴んだまま、ガッシュが黒髪に手を差し入れると、外耳のちょうど敏感な部分に指が当って、清麿の上半身がびくりと揺れた。
「ガッシュ・・・・!」
呻くように絞り出した声に懇願の響きを感じたのか、ガッシュはあっさりと手首を開放した。そしてそのまま花を引き抜く。
戸惑いの眼を向ける清麿に、ガッシュが呟いた。
「・・・なるほど。花泥棒とは罪なものだの」
「え?」
急な展開について行けない清麿を見下ろして、ガッシュはにっこりと笑みを浮かべた。
「さ、帰ろうぞ!」
「こ、こら・・・!」
手を伸ばしかけた清麿を振り切って、ガッシュは軽やかな足取りで走り出す。

どんな花よりも人を惹きつけて止まない君。
その身を守っていたささやかなトゲを、抜いてしまったのは自分。
誰の眼にも触れさせたくないと願う事が罪ならば。

─やはり自分は花泥棒なのだろう。

「おい、ガッシュ!」

清麿の声が飛んでくる。ガッシュは足を留め、ゆっくり振り返った。
複雑な表情で、まだ顔を赤く染めている清麿は、真っ直ぐに自分を見て大声を張り上げた。

「・・・飛び出すなよ、危ないから!」

ふと頭をよぎった人達の顔に、すまぬと一言だけ侘びを入れ、ガッシュはパートナーの許へと駆け出した。

「きよまろっ」



私は今、花を独り占めしている。