かくして  誓いは  交わされた















灰雪迷宮





「さあみんなー、大きな声で呼びますよー!せーのっ!サンタさーん!」

サンタさーん!!

「は・・・は〜い」
四方の壁を揺るがすような大音声に、完全に気圧されがちな及び腰で登場したのは、サンタというには少し─いやかなり─年齢も恰幅も程遠い少年だった。
それでも、白いヒゲに真赤な衣装、何より背に担いだ大きな白い袋があれば、子供たちの澄んだ目に映るものがサンタだということに、疑問を差し挟む余地など生まれない。
きらきらと輝く瞳を持つ汚れなき子供たちは、若きサンタクロースに向かって、ちいさな両手を次々に差し出した。
「はやくプレゼントちょーだいっ」
”もみじのような”という形容がぴったりの愛らしい手に、今まさに荒波に呑まれんとする木っ端の如くもみくちゃにされるサンタ(仮)。
(・・・サンタというよりこれは・・・戦後のGHQだな・・・)
『ギブミーチョコレート』などと文献でしか知らない中学生が、思わず心の中で洩らした述懐は、案外真実に近いものだったかも知れない。



+++



「お疲れ様、清麿くん」
冥府の餓鬼共─もとい子供達の『くれくれちょーだい』攻撃から命からがら逃げ延びた清麿は、手渡された温かいお茶に和みながら、平和の有難さをしみじみと噛み締めた。
「慣れてないとすごいでしょ。子供のパワーって」
「ええまあ」
清麿は苦笑しつつ、魔物なら慣れてますけど ─ と、心の中で付け足した。
と云ってもガッシュやティオは見た目こそ小さな子供だが、こうして普通の人間の子供と接してみれば、その異質さはやはり際立っている。『大人びている』などと云う簡単な言葉では済ませられない、時に大人をも凌駕するその心の強さが、魔物としての生まれ持った特質なのか、それとも幼くして異世界を彷徨うという境遇から得たものなのかは解らないが。
「ほんとに助かったわ。急にサンタさんの代役って云ってもねぇ。困ってたのよ、ここ女性の先生方ばかりだし」
そう云って目を細める年配の女性は、この幼稚園の園長先生。当初サンタ役を予定していた送迎バスの運転手が、ぎっくり腰でしばらく安静の身となってしまったため、急遽ご町内のお母さん方に助けを求めた結果、高嶺さんちの清麿くん(元引きこもり)に白羽の矢が当ったという次第。
まるで幼稚園の生徒に対してするような、手放しの笑顔と賞賛にぎこちなく笑い返す。照れ隠しのようにプレゼントの入っていた白い袋を畳もうとして、底にまだ何か入っているのに気が付いた。
「あれ・・・?」
逆さに振ってみると、果たして転がり出たのは赤いリボンのプレゼント。
(・・・もしかして、もらい損なった子がいる・・・?)
さっと顔色を変えた清麿だったが、園長先生はそれを拾い上げると、事も無げに云った。
「あら、今日は来なかったのね。あの子」
「あの子?」
「ウチの幼稚園の子じゃあないのだけどね、時々遊びに来る子がいるの。もし今日も来たらあげようと思って、一応用意しておいたんだけど・・・あ、ほら」
そこまで云って、窓の外に何かを見つけて指を差した。
「あの子よ。柵の外」
彼女の指差す方向を見ると、そこにちいさな人影があった。
なんとなく予感はしたが、やはりというか、それは的中した。薄曇の空の下でもはっきりと判る、蜂蜜色の明るい髪。同じ色の大きな眼。
「・・・アイツ、よくここに?」
「ええそうね、一日おきくらいに来るかしら。うちの子達よりは大きいみたいだけど、学校にも行っていないみたいで・・・」
園長先生の声を遠くに聞きながら、清麿は窓の外の金色の子供から眼が離せなくなった。
何をするでもなくただ柵の内側を見ている双眸。見るべきものがあって見ているというよりも、どこか途方に暮れたような所在無げな様子に、心の片隅がちりりと痛む。
普段、自分のいないところでどう過ごしているのか興味はあった。
けれどどこで何をしていようと変わる筈などないと、根拠もなくそう思っていたのだ。あの子供の持つ、太陽のような明るい瞳だけは。
それなのに─
(なんで・・・なんで、そんな顔してんだよ?)
「清麿くん、あの子がどこの子か知ってるの?」
らしくない相棒の姿に心を奪われたまま、半分上の空で清麿は答えた。
「どこの子っていうか、うちの子ですけど・・・」

一瞬、沈黙が落ちた。

「あらまあ・・・、ずいぶんお若いお父さんで・・・」
園長先生の台詞で、ようやくその沈黙の意味に気付いて叫ぶ。
「じゃなくてッ!俺の子じゃなくて、親父の知り合いの子ですッッ!!」
「ああそうなのね。道理であまり似てないと」
「疑問点はそこですか!!?」
そりゃ確かに見た目老けてるし言動は微妙に古いし着こなしも今ひとつ若くないが、まさかあんな大きな子供がいるような歳に見られるとは・・・!!
実際には、清麿自身がどうというよりも、どこか天然な園長先生の気質によるところの大きい発言だったのだが、ショックに悶える清麿は気付かない。
「あら、帰っちゃうのかしら」
という園長先生の呟きが耳に入ってようやく我に返る。反射的に窓の外に眼を遣ると、黒いマントの背中が柵から遠ざかるのが見えた。
その後姿に、奇妙な胸騒ぎを覚えた。

(同じ家に住んでるんだから、どうせ後で会える)

そう思っているのに、なぜか心がざわついて。

(今。追いかけなければいけない、なんて)

馬鹿げてる。そうだ。こんな衝動に意味なんて─

「ねえ、サンタさん?」

声をかけられ、弾かれたように振り返る。
「あの子にもプレゼント、あげてもらえないかしら」
わずかな心の葛藤を見透かしたように、「はい」と最後の1個のプレゼントが差し出された。彼女の大切なこどもたちに向けるものと、同じ種類の微笑みで。
「メリークリスマス」
鮮やかな赤いリボンのかかったそれを受け取って、迷いは消えた。
「・・・ありがとうございます」
「こちらこそ。お母様によろしくね」
頭を下げて、清麿は園長室を飛び出した。

辺りは早くも薄暗くなりかけていたが、どれだけ闇が濃くなろうと、見失う恐れなどこれっぽっちも無い。
暗闇の深淵でうずくまるしかなかったあの頃、世界を明るく照らし出してくれたのは、あのちいさなパートナー自身だったのだから。




+++




「ガッシュっ!」
ようやく追いついて呼び止めると、振り返った子供は大きな眼を更に大きく見開き─そこでようやく気付く。自分が、サンタの衣装のままだった事に。
(・・・え・・・えっと・・・)
勢い込んで追いかけて来たものの、いざ目の前にしてみると、云いたかった言葉は全て真っ白に飛んでしまっていた。こんな格好をしているのも、はたと我に返ってしまえば妙に気恥ずかしい。
なんと口火を切ったものか、酸欠の金魚のように口をぱくぱくさせている清麿に、ガッシュは小首を傾げて問うた。
「何か用かの、サンタ殿?」
(・・・へ?)
からかわれているのかと思ったが、この子供に限ってそんな高度なテクニックを身につけているとも思えない。返事もできず固まっている清麿をよそに、ガッシュは背後を覗き込んでぽつりと云った。
「トナカイ殿がおらぬな。道に迷ったのかの?」
(こッ・・・コイツまさか・・・・)
気付いて、ない?
(そんなバカな!いくらサンタの格好してるからって!)
大体、ガッシュには犬をもしのぐ嗅覚があるのだ。どんな扮装に身をやつしていようと、匂いはごまかせないはずで─
そう考えたところで思い出した。このちいさな相棒には以前、似ても似つかぬキャンチョメの変身術に思いっ切り騙されていた『前科』がある。
どうやらガッシュにとって、外見的特徴による刷り込みは、その尋常ならざる嗅覚以上に強いものらしい。だから、どんなに鼻が伸びようと、おおよその条件が揃っているならば清麿だし、サンタの衣装やヒゲを着けていれば、それは清麿ではなくサンタなのだ。
・・・しかし、それってどうなんだ。せっかく嗅覚が鋭くても、肝心の判断力がこれでは・・・。
脱力しつつ、清麿は気を取り直す。どうせ、ガッシュを王にするために教えなければならない課題は山積みなのだ。今更その項目がひとつ増えたところでどうということはない。
それよりも、今はむしろこの状況を利用すべきだろう。
こほんと一つ咳払いをすると、精一杯低い声で話しかけた。
「あー、ガッシュくん。私は道に迷った訳ではなく、君に会いに来たのだよ」
「私に?」
「そう」云いながら、白い袋からプレゼントを取り出した。
「良い子のガッシュくんにプレゼントだ」
単純なガッシュのこと、さぞかし喜ぶに違いないと内心わくわくしていた清麿は、だがしかしいつまで経ってもキョトンとしたままのその表情に、次第に違和感を覚え出す。
(・・・あれ?)
「・・・えーと、クリスマス、ひょっとして知らないのか?」
そう云いながら、『サンタ』も『トナカイ』も知っていたのだから、それは無いかと思い直す。
「クリスマスは知っておる。良い子にはプレゼントをくれるのであろう?」
(なんだ、やっぱり知ってんじゃないか)
思わずほっと息をついた清麿だったが、次の瞬間、清麿は耳を疑った。

「だがサンタ殿、それはきっと人違いなのだ」

「・・・は?」
「せっかく来てくれたのにすまないの。しかし他にもプレゼントを欲しがる子は居ろう?」
いつも通りの無邪気な声で、けれどその内容は、どこか決定的なズレを感じさせて。
言葉を失い、立ち尽くす清麿に、用は済んだとばかりに向けられたちいさな背中。
プレゼントを持ったまま固まっていた清麿は、我に返るとその背に向かって声を張り上げた。
「お・・・おい!ちょっと待てよッ」
ガッシュは足を止め、振り返る。
「なんでそんなこと云うんだよッ!訳わかんねー事云うなよッ」
最早声を作るのも忘れてしまっていたが、ガッシュの態度が変わる様子は無い。
「何故と云われても、わかりきっておるではないか。私は『良い子』などではない」
いっそ淡々とした調子で清麿に向かい合うと、事も無げに云った。
まるで聞分けの無い子供に言い聞かせるように、苦笑すら交えながら。
「な・・・何を・・・云って・・・」
滑稽な程にうろたえる清麿の様子にも心を動かされた様子もなく、ガッシュは平坦な口調で告げた。
「ならば聞いてもらえるか、サンタ殿」




+++




「私には、命に代えても守らねばならぬ者がおる」

いつのまにか、ちらちらと降りだした雪。音もなく落ちて消えるそれのように、その声は静かで、気負いもなく。
「─その者が、私のために傷つく事を恐れない事も知っている。ならば私の取るべき道は、本来ただ一つだとは思わぬか?」
(・・・それ、は・・・)
答えられない清麿に、もとより期待もしていなかったようにあっさりと幼子が云った。
「他の者を攻撃すること」
その言葉に、清麿は息を呑む。
「相手が誰であれ攻撃する─そう、すべきなのだ。私が消えるにせよ、王になるにせよ、この戦いを早く終わらせ、これ以上あの者を傷つけたくないと真実願うならば」
これは・・・誰だ?
俺は今、誰と話している?
「だが私は─」
金色の瞳。普段はきらきらと輝くばかりの太陽が、今は眇められ、まるで雲が覆ったように。
「私は、あの者の傍を離れるつもりはない」
「けど・・・けど、それは!」
(それは、俺も望んだ事だから)
「私は」
清麿の言葉はいとも簡単に遮られる。
”あの者”と云いながら、眼前の清麿だけを見るその双眸に。
「私は、これからもあの者の傍に居る。私の身勝手な欲のせいで、どれほどの涙を流そうとも。どれほどぼろぼろに傷つこうとも。守り抜くと誓ったその口で、一刻も早く王になりたいと云いながら、ギリギリまで最期のその瞬間を引き延ばして、私は─」
「・・・!もういい!もう・・・ッ」
堪えきれず、耳を覆う。

これ以上訊きたくない。懺悔の言葉など。

どうして、なぜ。

な ぜ オ レ に 聞 か せ る ん だ

「・・・つまらぬ事を聞かせた。許せ、サンタ殿」

閉じた眼の闇の中でそんな声を聞き、次に顔を上げた時。
そこに幼子の姿は無かった。
都会に降る頼りない雪は、ちいさな靴跡すら覆い隠してはくれなかったけれど。






+++





その夜は、聖夜とは云ってもいつもと特に変わらない夜だった。常と違うのは、夕食のメインがローストチキン(とブリの照り焼き)だった事と、食事の後にケーキが出たこと。
それなりに賑やかで楽しい夜を過ごした後、部屋に戻った清麿がぽつりと云った。
「なぁ、ガッシュ。オレは『良い子』か?」
ガッシュは、パートナーの唐突な質問にも戸惑う事無く、にっこりと笑って答える。昼間向けられたものと同じ、無条件で全てを肯定する笑顔で。
「清麿ほどの良い子は知らぬ」
憧れて止まない、太陽の瞳。何故だかそれを見て泣きたくなる。
「・・・じゃあ、プレゼント、くれよ」
そう云うと、ガッシュは驚いたように大きな眼をわずかに見開いた。清麿は、その強すぎる光をまともに見る事ができずに俯いて、詰まりそうになる喉から一言、一言ずつ振り絞る。
「ずっと、一緒に・・・来年も、さ来年も、その先もずっと・・・!」
俯いたまま、血を吐くように告げた想いは、そのまま誓いの言葉となった。


赦しの言葉を告げる資格は無いから。
だから代わりに、共に堕ちる言葉を。


「お主の、望む通りに」










かくして誓約は成就し、そして、
後に清麿は何度も繰り返し思い出す。



大切な誓いを
引換えに叶えたちいさな望みを
音も無く舞い落ちた仄白い雪を













音も無く舞い落ちる仄白い灰の中で








end