家に帰ると玄関先に猫が居た。見たこともない、赤い猫。尻尾だけが黒い。
「・・・なんであなたがこんな所に居るんですか」
「なんでって・・・ここは俺の家なんだが」
最近の猫は『にゃあ』とも鳴かないらしい。
きみはペット
「というか綾崎。お前は─」
虎鉄は目の前の猫、もとい綾崎ハヤテに訊ねようとして、さて何から訊ねたものか迷う。
1.何をやっているんだ。
2.何でそんな格好なんだ。
3.今度一緒に交通博物館に行かないか。
「待ち合わせは10時に駅前でどうだ?」
「─どんな経緯でその結論に達したのか、頭蓋を開いて見せて下さいませんか?」
***
虎鉄は、目の前でちんまりと座する少年執事の姿を、改めてまじまじと眺めた。もはや執事とも少年とも云い難いその格好は、ネコミミフードのついた赤いプルオーバーに、同色のショートブーツ。そしてアクセントのようにそこだけ黒い尻尾。
メイドだのネコミミだのウサミミだの、珍妙な格好をさせられた事例には事欠かない少年だが、今回はまたなんというか・・・不可思議ないでたちを強要されたものである。
「赤ずきん?」
いや、ネコミミがついているのだから赤ネコミミずきんか。
なんだか早口言葉ができそうだ。赤ネコミミずきん青ネコミミずきん黄ネコミミずきん。
「・・・云いにくそうだな」
「ええ、まあ」
噛み合っているようで噛み合っていない会話だが、滞ってもいないので特に問題はない。
ハヤテは居心地悪そうにネコミミフードを引っ張ってみせると、
「お嬢さまが最近、街でこんな格好をした猫をご覧になったとかで・・・」
と、ぽつぽつと語り出した。
それはとある駅前によく出没する猫で、それだけならまぁそれ程珍しくもない地域猫だが、珍しい事に、普通ならば嫌がるであろう「服」を着ていた。しかも真赤なパーカーという、なんともポップかつキッチュな装い。
─たまたま目撃したお嬢さまが、気に入らない道理は無かった。
『ハヤテハヤテ!これを着て見せるのだ!』
眼を輝かせてオーダーメイドのネコミミずきんを披露する少女から、結局逃げ切れなかったのだと云う。
「それで、なんでこんな所まで・・・」
云いかけて虎鉄は、その肘あたりが盛大にすりむけているのに気付いた。
「・・・逃げ回っている内に・・・その・・・ぶつけて」
と、云い難そうに呟くハヤテに、おぼろげながら事情を察する。要するに、自分のせいで怪我をしたと主に気付かれたくなくて隠れていた、というところか。
「お前も大変だな」
「同情しないで下さい。死にたくなります」
全く、可愛げのカケラも見せない猫。全力で抱きつぶしてやりたくなる衝動を何とか抑えつつ、ドアを開けて手招きをする。
「とりあえず、手当ては必要だろう?」
***
流水で傷口を洗い、消毒スプレーを吹き付けた後、ガーゼを当てて包帯で止める。それなりに痛みはあるはずだが、こういった傷には慣れているのか、手当ての間も全く表情は動かない。
「綾崎、晩飯どうする・・・って、綾崎?」
処置を一通り終え、救急箱を片付けて戻ってくると、ハヤテはソファにもたれてくうくうと眠っていた。
(・・・可愛い・・・)
と同時にふつふつと湧き上がるのは、可愛さ余ってなんとやら。恋愛対象として見られていないのは仕方がないにしても、仮にも片思いを公言している男に対して、それはいくらなんでも無防備すぎやしないか。
虎鉄は、眠るハヤテににじり寄ると、逃げられないようその華奢な体を包み込んだ。
指先で、その柔らかい皮膚をなぞる。
「・・・・ンっ」
(思い知らせてやる)
強く弱く、募らせた思いの分だけ
「や、ぁ」
(たとえ泣いても喚いても)
普段は決して人目に晒さない、場所まで
「あ、ァ・・・っ」
(逃がさない)
刻み込むように
「ひ・・・ッ、ァ」
(今日こそは─!)
「・・・・・あっはははは!ちょ、も、やめやめ降参こーさーんっ」
「逃ッげんじゃねェこの確信犯がっ」
「だ、だって、だって虎鉄さんマジだから・・・ッうわはははは」
「だーッもういい加減勘弁ならねェッ」
「ご、ごめ、ホントマジでっ許してーーーっ」
わき腹だの膝裏だの耳たぶだの、弱い部分を徹底的にくすぐられたハヤテは、息も絶え絶えになりながら床をバシバシと叩く。
「ギブギブギブーーっ!も・・・っぁ、あーーーッ・・・・・・ははははは!」
「・・・ったく」
余りやりすぎると、この神経過敏な少年は笑いの発作で酸欠を起こしかねないので、適当な所で解放して、用意しておいたタオルを放り投げた。
「わ」
「帰る気が無いなら、飯の前に風呂入ってこい」
まだ起き上がれずに、頭でタオルをキャッチしたハヤテに入浴を促す。どこまでも無防備な想い人を目前にして、なんとか平常心を保てた事を心密かに自賛する虎鉄だったが、続くハヤテの、
「洗ってくれないんですか?」
という一言で、壁に頭を強打した。
「な、なななななななななん!?」
「髪。・・・この手じゃ、洗えません」
そう云って、ぐるぐる包帯の巻かれた腕を指す。平静な声音を裏切るように、伏せられた瞳に、朱の差した頬。
(なんなんだ。なんなんだこの展開は。はッそうか、これが夢オチという奴か。
ハッハッハ騙されないぞ騙されるもんか騙されたりなんか・・・騙されて・・・)
「か・・・髪だけ・・・か?」
問うと、
「・・・からだ、も」
ためらいがちに囁く儚い声に、頭が真白になった。
(夢でもいい!いや、夢なら醒めないでくれーーーッ!)
「あ・・・・・綾崎ーーーーーーッッッッッッッッッッ」
今日こそ、その心も体も自分のものに
─ その時。
伏せられた顔が上げられて
覗いた笑顔に
「!」
虎鉄は危ういところで急ブレーキをかけた。
「ッはは、残念」
目の前の笑顔に微量ながら混じる、紛れもない殺意にがっくりと項垂れる。
「・・・・鬼かお前は・・・」
「人聞きの悪い事云わないでよ。先に仕掛けてきたのはそっちでしょ」
「先って、そもそもだな・・・」
云いかけて、やめた。
なんだかんだで長い付き合いだ。誘った気など微塵も無いのは解っていて、そこにつけ込んだのは確かに自分の方なのだから。
「・・・スマン」
「ん、よし」
素直に謝れば、ふっと見せるのはどこまでも透明な、青空のような笑顔。ナギに対する慈愛でも、マリアに対する思慕でもない、等身大の『綾崎ハヤテ』。
こんな顔が見られるのは自分だけ。そう思えば、この関係も悪くないと思う自分もいて。
「お風呂、頂くね」
「・・・ああ」
気が抜けたように座り込む虎鉄を置いて、ぺたぺたと遠ざかる裸足の足音。
その足音が戻ってきたかと思うと、ひょいとハヤテが顔を覗かせた。
「今夜・・・1人で寝たくない、な・・・」
虎鉄はクッションを投げつけて、
「とっとと入れ!」
あははと軽い笑い声を残し今度こそ遠ざかって行く足音を聞きながら、虎鉄は背後のソファに倒れこんだ。
小さく「ごめんね」と呟く声に、気付かない振りをして。
「・・・虎鉄さん!ちょっと、いい加減起きてください!」
目を開けると、目の前一杯にハヤテの顔があった。思わず驚いて飛び退くと、固い何かに後頭部がぶつかる。
「〜〜〜〜〜ッ」
頭を抱えて振り返ると、背後にあるのはさっきまで枕にしていた桜の木の根。ハヤテはそんな虎鉄を呆れ顔で眺めると、ため息をついて腕時計を指差した。
「いつまで寝てるんですか。午後の授業が始まっちゃいますよ」
「あ、・・・ああ。すまない」
思い出した。昼食の後、なかなか眠気が治まらないので、中庭で一眠りしていたのだった。
ハヤテは用意のいい事に、虎鉄のノートや教科書まで一式持っていた。それをぽいと投げるように寄越す。
「同じ班ですからね。教室移動、遅れたら連帯責任なんですよ」
わかってるんですか?と小言を繰りながら付いてくるハヤテに、へーへーと生返事を返す。
そういえばいつからこんなに距離が近くなったんだっけ、と虎鉄はさっきまで見ていた夢を思い返した。
内容は全く思い出せないけれど、やたら懐かしい夢だったような気がする。
それともそれは錯覚で、本当はこれから起こる出来事だったんだろうか。
ただ、確かなのは。
「綾崎ー」
「はい?」
「愛してるぜ」
「・・・・・バッカじゃないですか!?」
飛んでくる拳を避けながら見る、真赤になった可愛い想い人。
こんな顔が見られるのは自分だけ。
そう思えば、こんな関係も悪くない。
E N D
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御題:ペットバトンより
■家に帰ってきたら玄関前に怪我をした「借金執事」がいました。どうしますか?
■手当てをして食事を与えると眠ってしまいました。何処に寝かせる?
□朝起きると「しばらくおいて」と言ってきました。どうしますか?
□話し合いの結果ペットとして飼うことになりました。好きな名前をつけて良いとの事、なんてつけますか?そして、あなたをなんて呼ばせますか?
■お風呂に入る様に言いつけると「怪我をしているから頭洗って」と言ってきます。洗ってあげる?
□「借金執事」がお散歩(お出かけ)したいと言っています。何処に連れていき、何をしますか?
■「借金執事」が寝たいそうです。何と言ってくるでしょうか?一緒に寝ますか?
□他にペットとどんな事をしたいですか?
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元ネタ(?)は、Rさんから御題「借金執事」で頂きましたペットバトンです。
『自分×ハヤテ』でやっても全然進まなかったので、いっそストーリー仕立てにしてやろうと思いついたのがコレ。
しかし結果はお判りのように、消化できたのは■が付いている所のみ。ホントは全部埋めてやりたかったんですが、メルヘンにならないようにオチをつけようと思うと、どうしても展開に無理が出て・・・いや今も充分無理ですけど・・・。
ちなみに、少し未来のお話です。ハヤテの腕時計は、お嬢さまが晴れてアルバイト代でプレゼントしてくれたもの。虎鉄さんとハヤテの関係は、アレックスとシヴァ(「アレキサンドライト」)の関係です。『こいつをボスと呼んだ時代もあったのに・・・』というアレ。時が進めば距離感も変わるということで、「なんだかんだで長い付き合い」を経たら、ハヤテにも親友と呼べる友達ができてほしいなと。
まあ、虎鉄さんは未だ生殺し感アリアリですが。そして、どっちかってーと東宮のぼっちゃんの方があっさり親友枠に収まってそうですが。
で、何故「赤ネコミミずきん」かというと、こちらはイヌシバさんからの御題です。JR○橋駅に実在するというこの「あかずきん猫」、遭遇したイヌさんが写メを送ってくれたのでした。尻尾が黒いのは私の趣味です。
「いつかコレでハヤテを」「OK」というやりとりから数ヶ月。ようやく描いて、書きました。(笑)
素晴らしき御題をくれたRさんとイヌさんに、そして最後まで読んで下さったあなたに感謝です。
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