私達がいつか大人になって

この楽園を永遠に閉ざす日が来ても

あなたはまだ、そこにいてくれていますか?

















秘密の花園
The Secret Garden





「おーい、マリアー」
声を張り上げて、頼りになる方の姉を呼ぶ。けれどいつもならすぐに聞こえるはずの返事は無く、声は虚しく秋晴れの空に溶けた。
「マリ・・・」
2度目の声を張り上げる前に、ぱたぱたと足音が響く。振り返れば、庭掃除の途中だったらしい、エプロンを付けたハヤテが駆け寄ってくるところだった。
「お嬢さま、お呼びになりましたか?」
「ハヤテか。いや、呼んだのはマリアだ」
「マリアさんならお買い物です。僕でよろしければ伺いますが」
む、としばし考える。─まあ、器用なハヤテなら雑作も無いだろうが・・・。
「えーと、もしかして髪の毛ですか?」
すると、何も聞かない内からハヤテが云った。よく解ったな、と眼を丸くすると、
「ええ、それは─まあ」
ハヤテは、片方だけになった私のツインテールを見つめて苦笑した。


***


それでは手を洗ってきますね、とハヤテは箒を片手に戻って行った。
その間、手持ち無沙汰な私はテラスの白いガーデンチェアに腰掛けて足をぶらぶらさせていた。先ほど木の枝に引っかけて、ほどけてしまった髪ゴムをくるくる弄びながら。
「大体、散歩などと柄にも無い事をするからこういう事態に陥るのだ」
ぶつぶつ。
「天気が良かろうと悪かろうと、休日は部屋でゲーム三昧が若者の正しい姿だというのに」
ぶつぶつぶつ。
「庭も良くない。実りの秋だかなんだか知らんが、これ見よがしに金木犀の香りなどさせおって」
ぶつぶつぶつぶつ。
「空は空で雲ひとつ無いとくる。体育の日は特異日ではないとwi○iペ○゛ィアにも書いてあるのだから、律儀に晴れずとも良いのに─」
「要するに、あんまりお天気が良いから出てきちゃった、と・・・」
ぶつぶつぶつぶつぶ・・・ブハッ
振り向くと、いつの間にかすぐ傍にハヤテが立っていた。
「け、気配を消して近づく奴があるか!バカっ!」
思わず怒鳴りつけると、ハヤテは「やだな、そんなんじゃありませんよ」と、涼しい顔でテーブルに金木犀の枝を置いた。
零れ落ちそうなほど一杯に咲いたオレンジ色の小さな花が、主張の強い、けれど決して不快ではない匂いを立てる。
「ちょうど、折れていたので頂いてきました」
どうぞv と云う声も眼も、どこか楽しげな笑いを含んでいて。
・・・絶対、わざとだ・・・。
「お前、最近可愛くないな」
「そんな、元々お嬢さまみたいに可愛くはありませんよ」
わざとらしく眼を見開きながら、間髪入れず返されて絶句する。
全く、ああ云えばこう云うとはこの事だ。ハヤテは一体いつからこんなに口が減らなくなったんだ?ああ嘆かわしい。初めて会った頃はあんなに初々しかったのに・・・。
「お嬢さま?耳が真赤ですよ?」
「・・・うるさい!!」


***


良く見ると、ハヤテが持ってきたのは金木犀だけではなかった。ひょろりと長い茎が少々頼りない、ピンクやオレンジの、やや濃い色目の八重の花。
「コスモス?」
「ええ、ちょうど盛りだったので」
そう云うとハヤテは、その花を私の髪に近づけた。
「うーん、やっぱりお嬢さまにはピンクよりオレンジですね」
「え、ちょっ、ちょっとハヤテ」
もしかして髪に飾るのか!?と眼を丸くする私に、ハヤテは「よくお似合いですよ」と少しズレた返事をする。
「そうじゃなくて、マリアに怒られるんじゃないか?」
「へ?」
当然の疑問をぶつけると、ハヤテは思いもよらぬ話を聞かされたようにキョトンとした。ああダメだ、やっぱりどこかズレている。
「だから、こんなことでせっかく咲いた花を取ったら、またマリアが・・・」
言葉は、無意識の内に途切れた。
ハヤテの瞳が、これ以上無いくらいに甘くて、優しかったから。
青空よりも蒼く、深い湖よりも透明度の高い瞳から、眼を離すことが出来ない。
「テーブルを飾るより─」
ハヤテは、静かに笑いながら云った。

「お嬢さまが綺麗になる方が、マリアさんも喜びます」

・・・2度目の絶句。
お前は・・・お前は・・・お前はッッッ!
「私を殺す気か!?」
「えええ!?な、何がですか!?」
「知らん!」
ふん、とそっぽを向くと、途端に「お嬢さま〜」と情けない声を上げるハヤテが視界の隅に飛び込んだ。
そうだ、それでいいんだ。可愛いハヤテ。
「・・・髪」
「はい?」
「飾るなら早くしろ!」
「は、はいっ」
ぱあぁ、と声だけでも判るほど表情を明るくして、いそいそとブラシを用意する。
後ろを向いていて良かった。─気取られぬよう、髪を直す仕草でそっと頬に手を当てる。

まだ、あつい。


***


さらさらと、慣れた手つきで髪を梳く。強すぎず、弱すぎず。まるで壊れやすい楽器でも扱うように。
「お嬢さま、ちょっとだけ仰向いて頂けますか?」
「うん?」
云われるまま、顎を心持ち上向きにする。ハヤテはブラシを置いて、手櫛で素早く髪をまとめた。
「ポニーテールはこうするときれいにまとまるんです」
「そ、そうか」
ハヤテの説明にも上の空で返す。実際のところ、ハヤテの指が時々耳に当たって・・・くすぐったいような、もどかしいような。なんとも云えない思いを持て余してしまって、それどころではないのだ。
「ま、前にも思ったけど」
何か別の話題で気を逸らそうと、適当に思いついた事を口にする。
「はい?」
「ハヤテは髪の扱いが上手いな」
「はは、ありがとうございます」
「よくこういう事をしてたのか?」
「───」
すとん、と沈黙が落ちた。
・・・おい、何故そこで黙るんだ。いつもなら『そうなんです、実はバイトで─』とかなんとか、ハヤテ一流の人生経験談が飛び出すところだろうが。
なんで、黙ってるんだ。
「お嬢さま、この色とこの色、どっちがお好きですか?」
「あ、ああ・・・そっち。濃いほう」
なんで、答を誤魔化すんだ。
「・・・珍しいな。そんな黒バラみたいな色のもあるのか」
「ええ、そうなんですよ。これはチョコレートコスモスって云って・・・」
なんで、私が水を向けた話にほっとしたように飛びつくんだ。なんで何も無かったように笑うんだ。
なんで・・・こんなにも。

「もうすぐですからね、お嬢さま」
「・・・ああ」

胸が、痛い。


***


「はい。できましたよ」
ハヤテは正面に回って何度か花の向きを整えると、満足したように頷いた。
その眼はあくまでも優しく、どこまでも深く澄んでいて。

「お嬢さま?」

何が嘘で本当なのか、私にはわからない。

「・・・鏡、見てくるっ!」

私は、椅子を蹴倒さんばかりの勢いで立ち上がった。
「ってお嬢さま、鏡ならここに・・・!」
ハヤテの制止も無視して走り出す。
優しい瞳もほっこりする笑顔も、今は見たくなかった。
他の「誰か」の影じゃない。
それを完璧に隠そうとする、お前が─

「あぶな・・・っ」

気がつくと、後ろから伸びた腕にふわりと抱きとめられていた。─どうやら、勢いが過ぎてコケたらしい。
「もぉ、そんな急に走っちゃ危ないですよ」
ハヤテはそのままゆっくりとしゃがんで、私を芝生の上に座らせた。
「・・・ッ誰のせいだと・・・!」
慌てて口をつぐんでも、もう遅い。空色の瞳が驚いたように私を見つめ、やがて逸らされた。
「あ・・・いや、その」
違う、なんでもないんだ─それだけの言葉が、云えなかった。云えば、自分の中にある感情を決定的にしてしまいそうで。
ちくりと刺すような罪悪感と、押しつぶされそうな不安。
何か云って、ハヤテ。
でなければ、私は─
「さっきの、話ですけど」
不意に、ハヤテが顔を上げた。
「─誰にも云わないで頂けますか?」
真っ直ぐな瞳が、私を射抜く。
「誰に・・・も?」
ハヤテの人差し指が、私の唇に─触れる寸前で、止まる。
「ええ、誰にも」
まるで懇願するような口振りで、秘密を強要される。NOなど最初からありえない問いのように、私はただ出来損ないのからくりじみたぎこちなさで首肯した。
その拍子に指が、少しだけ唇に触れる。けれど逃げないその指を、まるで甘いご褒美のように感じる自分には何の疑いもなく、私はただ雛鳥のようにハヤテの言葉を待った。
「さっき仰いましたよね。僕が、こういう事をよくしてたのかって」
喋る事の出来ない私が瞬きで肯定すると、その指がそっと離れた。

「それは・・・」


***


「僕の、です」

意味が解らず、私はハヤテの顔をしばし見つめた。
「・・・は?」
ようやく口をついて出たのも、当然の如くただの疑問符。
「えーと、ですからね」
僕の家って貧乏じゃないですか、とハヤテは話し出した。
「だから、髪の毛とかって自分で切ってたんです。ナイフでざくざくっと、適当に。でも一時期、ちょっと面倒な事があったりして、のんびり髪切ってる暇もなくなっちゃって・・・で、中途半端に伸びちゃったのを自分でこう、括ったりして」
云いながら、今でも少し長めな襟足のあたりをまとめる仕草は、確かに堂に入ってるというか、・・・よく慣れた手付きで。
「あ、もちろん飾ったりはしてませんよ!」
と、ハヤテは慌てて手を振った。
「・・・で?」
「はい?」
「それだけか?」
ハヤテの顔をまじまじと見る。
「それだけです」
その表情は真剣そのものだった。
〜〜〜〜〜〜〜〜なんっっっという・・・・
「しょーもない!」
馬鹿馬鹿しいアホらしいホントに全くどーしょーもない!
その思いを全て込めてゲンコツを落とす。
「痛ー!?」
頭を押さえて涙目のハヤテを置き去りにして、フン!と鼻息荒く立ち上がり歩き出した。
「待って下さいよ〜」と後ろをハヤテがついてくる。いつも通り、ちょっと泣かせてみたくなるような情けない顔で。
「・・・さぞかし可愛かったんだろうな?」
「ふぇ?」
「ポニーテールのお前だ。いくつくらいの時だ?小学生か?」
「・・・っ!」
「女の子に間違われたりはしなかったのか?」
からかうと、途端に真赤になった。
「も・・・っもぉ!だから云いたくなかったんですよ!秘密ですからね!特にクラウスさんには!」
「クラウス?なんで?」
「クビになっちゃいますから!」
クラウスの執務室に掲げられたスローガンを思い出す。『執事たるもの漢らしくあれ』なんて、云ってる本人だって怪しいものなのに、律儀なものだ。
あはは、と無責任に笑いと飛ばしながら、ハヤテの細くて長い指を見る。
繊細で器用な、いい指だ。
誰かのために強くなる事を求められ、それに全身全霊で応えてきた、そんな指だ。

多分、ハヤテは嘘は云っていない。
けれど、全てを話した訳でもないだろう。
それを問い詰める事は容易い。でも、真実がいつも正しい事だとは限らない。
その程度の事が判らない程、私はもう子供ではなかったのだ。

「仕方がないな。黙っておいてやる」

だから安心しておやすみ。この、うたかたの楽園で。
ここには、お前を傷つけるものは何もない。
お前の嘘を、罪を、暴くものも。

私は、ハヤテに小指を差し出した。
それは偽りの子供に相応しい、無邪気で真剣で他愛の無い、誓いの形。

いつかこの楽園を捨てるその日まで─

「2人だけの、秘密だ」







E N D








「ハヤテが自分で髪を切っている」というエピソードは、以前コピー本で出した捏造設定です。ので、あんまり深く考えないで下さいませ。

アーたん編以降の子供ハヤテには色々ドリーム膨らみます。特に、小学校高学年〜中学生くらいの、雀荘で代打ちやってた頃。ちょっと冷めてるというか、荒れ気味だといい。進学するか就職するかで葛藤してるといい。そしてそんなハヤテに手を差し伸べる誰かがいたらもっとイイ・・・!
と、私の脳内ではほとんどオリジナルストーリーと化したハヤテのごとく外伝が展開されている訳ですが、それは関係ないので置いといて。


私は性的関係さえなければ、男女CPについてはどっちゃでもエエと考えてます。が、お嬢さまとハヤテを敢えて「×」で表すならば、「お嬢さま×ハヤテ×お嬢さま」かなと。いいトコ取りですね。正味な話、精神愛だけで成り立ってる関係の場合、受攻はそうカンタンに割り切れるもんじゃないと思ってます。

と、色々理屈を捏ねても結局のところは「もどかしい2人が見たい」という一点に尽きるのですけどね。

少しでも、お楽しみ頂けましたら幸いですv


08.10.12




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