エレクトラの恋人


(2)


「・・・くん、高嶺くん!」
奇妙な夢を見た後の浮遊感から、オレは薄い膜のかかったような思考を掬い上げた。顔を上げると、ショートカットの少女がオレを覗き込んでいる。
「水野か・・・」
「1時間目、終わったよ?」
オレは無言で席を立つと、鞄を取って歩き出した。
「高嶺くん、どこ行くの?」
「帰る」
短く云い放つと、後ろで慌てたような水野の気配を感じた。
ドアに手をかける直前、
「天才クンはバカと一緒じゃイヤだってさ」
囃し立てるような声が複数、背後からかかった。
眼の端だけでその方向を視界に入れると、ピタリと声が止んだ。
重苦しい沈黙と、微かに混じる囁き声。無言の圧力が、早く消えろと云っている。
まといつくようなそれを振り切って、オレは教室の外に出た。

「高嶺くん、待って!」
靴箱まで来たところで、水野が追いついてきた。はあはあと肩で息をしている。
「高嶺くん、明日も来てくれる?」
「別に・・・お前のために来たわけじゃない」
「うん、それはわかってる。でも、来てくれてすごく嬉しかったから」
「心にも無い事云うんじゃねーよ」
「そんなことないよ!!」
突き放すと、意外なほどの力強さで水野は否定してきた。
「そんなことない!いつかきっとみんなだって、高嶺くんの事わかってくれる!」
「・・・水野・・・」
けれど、正直な所オレはもう疲れていた。いつからこうなってしまったのか、どこで歯車を違えてしまったのか。今となっては解らない。
水野には感謝している。だが、このままではどのみち水野だってオレと同類扱いされてしまう。いや、既に手遅れなのかも知れないが。
『今日は何かが違うかも知れない』─そう思いながらここに来るのは、もう限界だった。
「高嶺くん・・・」
水野の手がオレの手に伸ばされた、その時─
「きゃっ!!」
「!?」
オレに触れようとした水野の手が、青白い火花とともに弾かれた。
「み、水野!大丈夫か!?」
慌てて駆け寄ると、水野が手を押さえて後ずさる。
「・・・わ、悪い、水野」
オレのせいなのかどうかはわからないが、オレにはダメージが無いのでとにかく謝った。静電気だろうか?それにしては強力すぎる。
「高嶺くん、ポケットの中・・・」
「え?」
云われて、オレは制服の胸ポケットの中を探る。特別なものなど入れた覚えは無かったが、底を探る指先に、何か硬い物が触れた。
「・・・これ、は・・・・」

『ごらん、綺麗だろう?』

刹那に蘇る夢の断片。そこで見た、小さな石。それの持つ性質を思い出し、オレは先ほどの静電気の原因を知った。
けれど、とオレは思う。
あれは夢だ。実際には、あんな出来事など無かった。なのになぜ。
なぜ、ここに『これ』があるんだ?
「そんなもの棄てて!高嶺くん!!」
水野の声に、オレは我に返った。
「危ないじゃない!何よそんなもの、学校に持ってきていいと思ってるの!?棄てなさいよ早く!!」
初めて聞く、水野のヒステリックな叫びに、オレはただ呆然としていた。
「み・・・水野、一体」
「棄ててよおッ」
手のひらの中で、石が小さく衝撃を発した。痛みは無いが、もやのかかったようなオレの感覚を、揺り起こすには充分だった。
そう、それは正しく警告だった。
「お前・・・一体誰だ!!」
水野の姿をした何者かに向かって恫喝したその時、背後から強い力で羽交い絞めにされ、オレは身動きを封じられた。
「な・・・。だ、誰・・・」
『ダーメだなァ高嶺クン。オンナノコ泣かせちゃ〜』
『そうそう、水野さんが可哀相だよォ』
「お・・・ッお前ら・・・ッ」
背後からオレを拘束しているのは、山中と岩島だった。
いや、今となっては、『それ』は何かもっと別のモノだという事が解る。
(・・・だってアイツらは・・・アイツらはオレの・・・)
「うッああッ!」
右手をギリリと締め上げられ、オレは悲鳴をあげた。顔を向けると、『そいつ』は金山の顔をしていた。
『オラァ、棄てろって云ってンだよォォ』
まるで古いカセットテープを再生しているかのように、間延びした無機質な声。厭らしくまといつくような喋り方は、否応なく生理的嫌悪をもよおさせた。
「や・・・っやめ・・・」
血が通わなくなるほどに締め上げられ、右手の感覚が薄れていく。けれど、握り締めている小石は離さなかった。これを手放してしまったら何もかも終りなのだ。

・・・ナニモカモ、オワリ?

一体何が終わるというのか、そんな事は解らない。それでも、確信に近い強い想いがオレの心を繋ぎとめている。オレはこれを守らなければいけないんだ。─ たとえ、命に代えてでも。
「これは渡さねえ!!」
『・・・てめえ・・・』
金山の顔をした何かが、オレの首に手をかけた。耳朶から首筋にかけて、血流を確認するように手のひらで辿られ、背筋がゾクリと粟立つ。
「・・・ッ」
声にならない悲鳴をかろうじて呑みこみ、反射的に顔を背けると、ぬめった感触が頬に走った。薄目を開けて見ると、金山の顔をした『それ』の真赤な舌が、まるで別の生き物のように蠢いていた。
『じゃあァ、死ねよオ』
そう云い放つと同時に、奴の無骨な親指がオレの気道を塞ぐ。
「ぁ・・・カハッ・・・」
一気に頭に血が昇る感覚。激しい耳鳴りに、締め上げられている浮遊感も手伝って、方向感覚が怪しくなった。
真赤に染まった視界。
右手の先に感覚が無い。
あの小石は?手の中にまだあるのか?
・・・それすら解らなかった。

途端に込み上げる焦燥感。自分が殺されると解ったときよりも、その衝撃は大きかった。一旦は諦めかけ、弛緩していた体で猛烈にもがく。けれど、全身を拘束する『それ』の力が緩むことは無い。

(嫌・・・だ・・・)

オレは、アイツを。

(アイツを)

・・・アイツを?

(王様、に・・・!!!)

金色の、太陽にも似たあの光が心の中に浮かんだ。

『ぐがあァァッ!!』

轟音とともに真白な雷撃がオレの身体を包みこみ、オレを押さえ込んでいた全ての力が弾き飛ばされる。
強烈な電磁の嵐。けれど、恐怖も痛みも感じはしない。
ただ懐かしく、気が狂いそうなほどにいとおしいだけ。

─ これは、きっとお前を護ってくれるだろう ─

渾身の思いを込めて、オレは叫んだ。






「ザケル!!」









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