ゼロ地点
[ point-zero ]


(2)


「失礼しやーす」
ノックしてドアを開けると、保健室の中はシンと静まり返っていた。電気も消えていて薄暗い。
もう起きて帰ったのだろうか?
手探りで電気を点け、鞄とスポーツバッグを床に置く。
カーテンを引くと、予想に反してというか期待通りというか、高嶺はまだベッドで寝ていた。出て行った時とほとんど変わっていない格好に、一瞬だけ冷やりとした不安を感じて顔を近づける。
(・・・生きてた・・・)
いくらなんでも当たり前だが、ちゃんと寝息を聞くまでは、心のどこかが安心しきれなかったのも事実だ。俺は畳んであったパイプ椅子を引っ張り出すと、ベッドの傍らに置いて腰掛けた。
のっぺりと薄明るい蛍光灯の光は、高嶺の顔色をまだ悪く見せている。よく見れば眼の下にはうっすらと隈が浮いていて、俺は保険医の「寝不足」という言葉を思い出していた。
寝不足の理由は知らないが、他の奴なら考えられるような、試験勉強とかTVとかじゃあない事は確かだ。
もしも、高嶺がそんな当たり前の奴だったら、と俺は考える。
きっと、コイツも学校全体から拒絶されるようなことはなかっただろうし、逆に、今ここに俺がこうしていることもなかったんだろう。




俺達は、1年のときはクラスが違ったからお互いに良く知らなかった。いや、向こうは俺を知らなかっただろうが、俺は高嶺のことを多少は知っていた。それほどに奴に関する噂は多く、ある意味有名人だったのだ。
入学して初めての実力試験で、ただ1人全教科満点だったこと。新入生代表挨拶をバックレたこと。同じ小学校の卒業生たちが、そろって高嶺をバッシングしていること・・・。
増えていく噂と反比例して、高嶺の登校日数が減り始める頃には、教師たちも、毛色の違いすぎる新入生を持て余しだしていた。そうして気がつけば、1年の半ばで既に奴は金山と並ぶ問題児になっていた。

俺達は2年になって同じクラスになったが、しばらくは高嶺の顔を見る事はなかった。留年にならない程度に出席日数を計算し、試験だけは受けて帰って行く。そうやって1年もやり過ごしたらしい。その態度がムカつくのだと、俺も含めてクラスの連中は、まだろくに口をきいたこともない「高嶺清麿」に腹を立てていた。そうしなかったのは、超のつく天然ボケでやはり有名だった水野くらいだろう。
初めて登校してきた高嶺を俺が見たのは、2年になって1週間も過ぎた頃だっただろうか。
俺は、あの時の高嶺の眼をまだ憶えている。
他人を寄せ付けない、昏く黒い瞳。これは異質なものだ、とクラスの誰もが思った。互いを拒絶するということを、先に始めたのは一体どちらからだったのか。そんなことすら考えられなかった。
異物は排除しなければならない。それはもはや本能に近かった。云い訳になるかもしれないが、俺たちは怖かったのだ。それはヒトが暗闇を怖がるような、原始的で、訳のわからない恐怖に似ていた。ヒトには理解できない魔物のような存在がいるとすれば、それはその頃の高嶺だったのではないか。
黒い瞳は俺を見ず、けれど確実に俺たちに向かってこう云っていた。
─お前らは皆、共犯者だと。

「う・・・ん・・・」

うめき声と共に高嶺が寝返りを打つ。反射的に俺はその顔を覗き込んだ。
・・・・それがいけなかった。
その途端、パッチリと高嶺の眼が開いたのだ。
「おワアァウァッ!?」
俺が奇声を上げてのけぞると、ガシャンと派手な音がして椅子が後ろに倒れた。慌てて椅子を引きなおすと、高嶺の真っ黒な眼が俺を凝視していた。
「お、オハヨー・・・ってのもヘンだが、大丈夫か?」
俺は内心の動揺を隠して話しかける。すると奴はゆっくり体を起こし、俺の方に顔を向けた。そして大きな欠伸を1つすると、ムニャムニャ云いながら眼をこすり。
「・・・よく寝た・・・」
(お、お前な〜〜〜〜〜〜!)
1人で動揺しまくっていた自分は一体なんだったんだ。理不尽な憤りにワナワナと震えていると、「山中」と声をかけられた。
「なんだよッ」
顔を上げると、真っ直ぐに俺を見ている高嶺と目が合った。
「その・・・面倒かけてごめん。あと、ありがとう」
早口になりながら一気に云うと、奴は目を逸らす。その不器用な態度につられて、なんだか俺も気恥ずかしくなってきた。
「べっ、別に大した事じゃねーってのこん位。もう帰れるか?」
「ああ、もう少ししたら帰るよ。・・・それより山中、頼みがあるんだが・・・」
「な、なんだ?」
真っ直ぐに見つめられ、俺の動悸が早まった。
まただ。どうも俺はコイツの眼に弱い。以前とは違った意味で、そして以前より強く。
黒い瞳から眼を逸らせないでいる俺の心中を知ってか知らずか、高嶺は口を開いた。
「─俺がブッ倒れたって、ガッシュには云わないでほしいんだ」
「へ?ガッシュ?」
思ってもみなかった名前が出て、俺は一瞬ポカンとしたが、すぐにいつも高嶺にくっついている金髪のガキの顔が思い浮かんだ。
「いいけど・・・来るのか?アイツが」
「いや、というか・・・」
そう云って、高嶺はドアの方に眼を向けた。つられて俺も見るが、何もないし何も聞こえない。
「高嶺?」
問いかけた俺の事なんか見えてないように、高嶺はドアを凝視している。その様子が少し尋常でないような気がして、俺はもう一度呼びかけようとした。
「た・・・」
「もう、来てる」
「へ?」
それからしばらくも経たないうちに、廊下をバタバタと走る音が聞こえてきた。何かが来る、と思った次の瞬間、バターンと派手な音を響かせてドアが開き、小さな物体が飛び込んだ。
「た、高嶺ッ!・・・え?」
衝撃に吹っ飛ばされかけて危うく立ち直ると、目の前に例のガキ─ガッシュの小さな金髪頭があった。
「清麿オォォォォォ!!」
「ガッシュ・・・学校では暴れるな」
冷静なツッコミにもめげずに、ガッシュはベッドの上の高嶺に、馬乗りになって抱きついた。
「清麿、清麿大丈夫なのか!?いつまでも帰ってこぬから心配したのだぞ!!」
「・・・大丈夫だからちょっと落ち着け。重いし苦しい」
「ウヌゥ!匂いをたどってくれば『ほけんしつ』に続いておるし、それは心配したのだぞ!清麿に何かあったのではないかと!!」
「そうだなガッシュ、ここは保健室だ。だったら他にも病気や怪我をした人がいるかもしれないな?」
そう静かに諭され、ガッシュは初めて我に返ったように口を噤み、周りをキョロキョロと見渡した。俺の存在にもやっと気付いたようで、「おお、山中ではないか」とテキトーな口調で云った。
(ってゆーか呼び捨てかい)
こめかみに血管を浮かせている俺をキレイに無視して、ガッシュは高嶺に向かってうなだれると「すまないのだ、清麿」と素直に謝った。『誰もいなかったからいいじゃないか』などと小生意気なことは云わないらしい。
高嶺はガッシュの頭に手を載せると、俺が見たこともないような優しい眼をして云った。
「心配かけたのは悪かったな。ちょっと眠くてさ、先生に云ってベッド借りてたんだ。なあ山中?」
「へ?あ、ああそうだぞ。この通り元気イッパイだ!!」
急に話を振られてアワアワしながら、俺は何とか取り繕ってみせる。だが、ガッシュは安心するどころか、俺にあからさまな不審の目を向けてきた。
「・・・この者と一緒にか?」
いっちょまえに、まるで敵でも見るような目つきに、俺はピンとくる。
なるほどな・・・そーいう事かよ。
ナリはまだ小さなガキだが、挑みかかるような不敵な目は、既に「男」のそれだった。俺はベッドの端に腰掛けると、わざと見せ付ける様に肩を密着させた。
「ああそうさ、楽しかったよな。2人っきりで色んな話してさ。な?高嶺」
「あ?ああ、そうだな」
高嶺の表情が、訝しげに微かに曇る。だが雲行きを怪しく感じながらも、自分から協力しろと云った手前、滅多なことも云えないのだろう。それをいい事に、俺は抱きかかえるようにして高嶺の肩を軽く引き寄せた。高嶺の身体がバランスを崩して俺の胸に落ちる。
「って、おいコラ山中、何して・・・ッ」
抗議の声を聞き流して強く引き寄せる。さらさらした髪が気持ちよさそうだな、と思ったら、いつの間にか指を差し入れて梳いていた。少しだけ冷たい髪の感触に頭がグラグラする。
「オイっ」
「いーじゃねーか、友達だろ?」
云い聞かせるように耳元で囁くと、声を潜めつつも暴れていた高嶺がピタリと大人しくなった。その落差には、むしろ俺のほうが驚いた。
そして気付いたのだ。何気なく放った『友達』という一言が、一体どのくらい、高嶺にとって大きな意味を持つものなのか。知らぬ事とは云え、そんな高嶺の心を利用してしまったということに。
高嶺は、どうしたらいいかわからない様子で、俯き、俺に身を預けている。ここで俺を拒絶すれば、また前と同じことが起こるとでも思っているかのようだった。
俺は軽はずみな行動を海より深く後悔していたが、俺自身どう動いていいのかわからなかった。下手なことを云って、友達を─高嶺を失うのは死んでも御免だ。そう思うのに、身体が強張って動かない。
不毛な呪縛をといたのは、その時響いた子供の声だった。
「その手を・・・離せ」
弾かれたように声の主を見る。金色の瞳がギラギラと光って、まるで威嚇する獣のようだった。
「清麿から離れろ山中。今ならまだ冗談で済ませてやる」
聞いたことも無い低い声で、真っ直ぐ俺の方を見てくる。
「・・・ガッシュ・・・」
高嶺の声が微かに震えていた。苦い後悔を感じながらも、俺は高嶺を捕まえる腕の力を弱めなかった。
「・・・嫌だって云ったらどうするよ?」
そう云って、もう一度強く高嶺の肩を引き寄せる。腕の中の身体がビクリと硬直するのがわかって、俺は心の中で高嶺に詫びた。
「山中ァ!!!」
よく通る子供の声が、もの凄い音量でビリビリと響いた。正直、ビビってはいたが、─ここで引くわけにもいかないのだ。
俺は、精一杯の虚勢でもって声を張り上げた。
「なんだ、やるのかチビ!云っとくがな、俺だって高嶺の友達だ!!コイツを大事だって思ってんのはなァ、テメーだけじゃねーんだよ!!」
「そんなことは解っておるわ!ただ私は清麿の気持ちを無視して独り占めしようとする者を許せぬだけだ!!」
「へッ、・・・テメーがそれを云うのかよ!!」
声を張り上げているうちに、ビビっていた心は消えていた。代わりに膨れ上がっていたのはどうしようもない怒り。あの頃の自分に対しての。そして、また高嶺を追い詰めていた今の自分への。
そして、身勝手だとは思っていたが、それは目の前の子供にも向けられていた。
高嶺を変えたもの。そして、今も高嶺の心を支配しているもの。
意識のない高嶺の口からその名前が零れたとき、解っているべきだったのだ。
「一番・・・・」
この子供が、全ての始まりだったのだと。

「一番高嶺を独占したがってんのはテメーだろーが!!」

「な・・・ッ」
図星だったようだ。ガッシュはデカイ眼を零さんばかりに見開くと、それまでの迫力を消して口ごもった。
その反応に気をよくした俺は、少し余裕をもって云い返す。
「ンだよ、ズバリ云い当てられて声も出ねーってか?」
「そ・・・ッそんな事は・・・!お、お主に云う必要など無い!清麿は私のパートナーなのだから当たり前だ!」
「ハア?パートナー?何云ってんだお前」
「ウヌゥ、パートナーはパートナーだ!私には清麿が必要なのだ!傍にいなくては駄目なのだ!!」
と、まるで駄々っ子のように地団太を踏んでいる。さっきまでとはえらい違いだ。
ちらっと高嶺の様子を伺うと、奴は耳まで真赤にしてベッドに突っ伏していた。そんな立場じゃないのは百も承知で、俺は高嶺に同情する。
悶死寸前ってのはきっと、今の奴のような状態に違いない。
「お前な。さっきから聞いてりゃテメーの都合ばっかり云いやがって、『高嶺の気持ち』はどーなんだよ!!」
「き、清麿は、清麿は・・・・・・・・清麿は・・・・・・・・・・・ッ」
と、ぶるぶると拳を震わせていたガッシュが、ギッと俺を睨みすえて叫んだ。

「清麿は私と夫婦よりも強い絆で結ばれておるのだ!!!

爆弾発言だった。
そして聞き捨てならなかった。
夫婦、だと?
「こ・・・ッこのガキ云わせておけば・・・」
「私から清麿を奪うものは許さぬ!!」

その時。

「いい加減にしろ2人とも!!!」

骨に直接クるような物凄い大音声が響き、ヒィッとガッシュが跳ね上がった。その視線は俺を飛び越えて固まり、顔がアワアワと震えている。
恐る恐る俺が振り返ると、鬼のような形相の高嶺がギロリと睨み付けていた。

「お前たち・・・黙って聞いてれば好き放題云いやがって・・・」

高嶺がゆらりと立ち上がる。いつの間にか俺とガッシュはベッド脇に正座していた。

「ガッシュ・・・」
「ウ、ウヌ」
「・・・山中」
「お、おう」

隣でガッシュがビクリと震え、俺は覚悟を決めた。
すう、と息を吸う気配がして。

「人の事景品か何かとでも思ってんのかァァッッッ!!!」

ヒイイッ!と、俺は腕で顔を覆った。隣のチビは見えないが、多分似たような反応だっただろう。
時々『清麿は鬼なのだ、悪魔なのだ』と云うのを聞いていたが、身をもって体験するとそれはあながち大げさでもなかったとわかる。

「・・・?」

だが、その後がいつまでたっても続かない。顔を上げると、高嶺は額に手を当てて、へなへなとベッドにへたり込んでいた。

「たか・・・!」

「清麿!!」

・・・出遅れた。
ガッシュは仰向けになった高嶺に寄り添うと、「清麿、清麿」と半泣きで呼びかけた。すると、高嶺の拳骨がぼかりとその頭にヒットする。
「ウヌゥ、痛いのだ清麿」
「やかましい。人の血圧上げて楽しいか」
幾分弱々しいものの、いつものひねくれた声が飛んできて、子供の顔にほっと安堵の色が浮かんだ。
「清麿、やはりお主、具合が悪かったのではないのか?」
「今悪くなったんだよ!たった今ッ!!」
「ウ、ウヌ、すまぬ」
ガッシュは俺を振り返った。
その顔には『不本意だが』と思いっきり書き殴ってあったが、俺は奴の云わんとしている所を汲んでやることにした。
「・・・悪かったな、ガッシュ」
「いや、私も悪いのだ。すまなかった」
高嶺はそんな俺たちの様子を見て「よしよし」と頷くと、
「もー2人とも喧嘩なんかすんなよ。・・・ったく、何が原因なんだか・・・」
(お前だお前!!)
自分の事となると鈍い高嶺に、心の中でそんなツッコミを入れてみる。隣のガッシュはと見ると、どこか諦めたような仕草で肩をすくめていた。その様子が妙にこの子供には似合っていて、俺は少し笑ってしまった。




NEXT?

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