膝が痛い。


ここの所、朝起きてまず思う事といえばそんな事。
膝が痛い。全身の関節という関節が重い。おまけに今日は何だかノドまで痛い。

(理不尽だ。これはオレの身体なのに)

なんで本人に断りも無く変わっていってしまうんだろう。
─ そんな事をつらつらと考え、ベッドから身を起こす。
高嶺清麿、12歳。

憂鬱なある夏の日のこと。






パーフェクト・ブルー





(1)

・・・おはよー・・・
「おはよう・・・って、やだ清麿。どうしたのその声」
普段はまだ女の子と云っても通りそうな声が、今朝は更にか細く、ややかすれ気味のハスキーボイスになっている。ここのところ急に背の伸び始めた一人息子は、椅子を引くと気怠げに座り込んだ。
・・・ノドが痛い・・・
「夏風邪かしら。熱は?」
・・・多分違う・・・
「あら、じゃあお赤飯かしら」
・・・ベタな事云わないでよ母さん
けほ、と咳き込むと今度は肺に響く。うううと呻いて屈みこめば、背筋の方まで痛みが走った。
「だからお医者さん行きなさいって云ってるのに」
・・・大丈夫だって・・・成長期にはよく・・・あることなんだって・・・
途切れ途切れで絞り出した言葉は、事実の中に少々の嘘を含んでいる。
骨の成長に筋力が追いつかないために起こる関節痛は、その多くが一過性だ。だが、ひどく長引くようならば医師にかかる必要がある。ここ数日で読んだ体育医学論は、そんな一節で締めくくっているものが多かった。実際、母親を安心させるためにも、一度診てもらった方がいいとは思う。幸い今は夏休みだ。病院に行く時間くらいいくらでもある。
それでも─。
あだだだだ
「も〜、ホントに大丈夫なの?」
大丈夫だよ・・・大人しくしてればすぐ治るから
つくづく、今が夏休みでよかったと思う。しばらくすれば慣れるとは云え、この状態で体育の授業を受けるのは考えるだにキツい。最悪、夏休み中ずっとこの痛みと付き合う羽目になるかも知れないが、新学期の始まる頃には、いくらなんでも身体の方も落ち着いてくれるだろう。
そんな風に考えて、自分への云い訳だと気付く。
本当は、この痛みがずっと引かなくても、病院に行く気なんて無かった。
たとえ医者でも、見知らぬ人間に身体を見られたく、ない。


「─今日は何か用事あるの?」
ん、図書館に行って来る。県立の
華は洗い物を片付けていた手を止めると、手を拭きながらくるりと振り向いた。
「県立図書館・・・って、いつもの市立図書館じゃなくて?」
うん。探してた本が、そこの貸出禁止書架にしかないっていうから
「遠いじゃない。どうやって行くつもり?」
県立図書館はモチノキ町から電車で30分、さらにそこから徒歩15分といった所にある。普段、町内ですら滅多に出ない小学生にとっては、結構な遠出と云えた。
電車・・・だろうなやっぱ
「ダメよ、1人でそんな遠い所。その本、市立図書館に送ってもらえないの?」
だから貸し出し禁止なんだって
清麿はため息をつくと、新聞の社会欄から眼を離した。
大丈夫だってば。昼間の明るい内に行くし、帰りも遅くならないようにするから
「でも・・・」
ほら、早く行かないと遅刻するぜ
尚も心配そうな華をなだめて、何とか玄関まで送り出す。部屋に引き返そうとした所で、ふと玄関脇の全身鏡が目に入った。
縦方向にばかり急激に引っ張られていく成長は、全身に負担をかけるばかりか、見た目にもアンバランスさを増していく気がする。筋肉の在処を感じさせない、長く伸びた手足。薄っぺらな胸。浮いた鎖骨に、華奢な喉。
男にも女にも見えない、不均衡な生き物。それが今の自分。
(考えてもしょーがねーよな・・・)
清麿はまた一つため息をつくと、膝の痛みを堪えつつ階段を上った。






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