パーフェクト・ブルー
(3) 気のせいではなかった。 さっきのOL達のものでもない。もっと、全身を舐め回すようなねっとりした視線。それが、しつこくまとわりついてくるのを感じる。 形容しがたい悪寒が背筋を這い上がった。理屈ではなく、五感以外の部分が発する警告。 (クソッ・・・誰だ・・・!?) 錆びたねじを回すような重さで辺りを窺うと、清麿は危うく声を上げそうになった。 (あの男・・・!) 先ほど注目を集めていた、あの茶髪の男の姿が、なぜか今またすぐ傍にある。帽子の端からちらりと覗かれたような気がして、清麿は不自然にならないようさっと視線を戻した。 気取られなかっただろうか? 到着した列車が乗客を吐き出すのを眺めながら、頭の中でぐるぐると思考する。 (なぜ) (あの視線は) (さっきの場所からはかなり離れたのに) (なぜまたここに) (まさか、後を) 後を付けられた・・・? その可能性に思い当たって、清麿は走り出した。列に並んだ乗客をあらかた呑み込み、閉まるばかりの入口に滑り込む。 同じように滑り込んだ乗客に揉まれながら、扉が閉まると、清麿は額の汗を拭った。まだ、心臓が強く脈打っている。 怖かった。 ・・・のだろうか。あの男が? 冷静になってみると、よく判らない。 あの視線に恐怖を感じたことは確かだ。だが、ざらりと絡みつくようなそれと茶髪の男は、どうもイコールで結びつかない。 それでも、気が付けば2度も背後に居たことは事実だし、その事だけでもあまりいい気はしない。 だがともかく、電車には乗れたのだ。清麿は、暗くなり始めた窓外の景色を眺めながら思考を切り替えた。あとは華が帰ってくるまでにダッシュで家に帰って ─ 華より遅くなった場合の言い訳を、頭の中でシミュレートしていると、電車がカーブに差し掛かり、大きく揺れた。 (うわ、・・・コレは確かにキツイかも・・・) 窓に対してほとんど押しつぶされながら、これに毎日乗らなければならない社会人の悲哀を想像してみる。 ─おかしい、と思ったのは不覚にもしばらく経ってからだった。 カーブを過ぎ、乗客のほとんどが体勢を立て直しているはずなのに、まだ自分だけが強く窓に押し付けられている気がする。 一旦それに気付くと、どうにも不自然な気がしてならなかった。後ろの客がもたれかかってくる動きが、揺れに対して大袈裟すぎるのだ。 そして再び感じた。あの、生臭ささえ漂いそうな視線を。 それが、先ほどとは比べ物にならない濃密さで、じっとりと絡み付いてくる。 ─近い。 (まさか・・・ッ!!) 狭い車内、さらに身体を押し付けられている中、首を回す事は容易ではなかったが、それでも何とか視線を背後に巡らせる。 一瞬予想した、茶髪の男は居なかった。 そこに立っていたのは、スーツにネクタイのサラリーマン。さっき、自分と一緒に駆け込んでいたのを思い出す。20代後半くらいの、どこといって目立つところのない、大人しそうな顔。 それが ─笑った。 頬の筋肉をほとんど動かさず、唇の端だけで、確かに笑った。 その表情に、全身が凍りつく。 いつの間にか、腕にはびっしりと鳥肌が立っていた。 |