パーフェクト・ブルー
(4) (コイツだ・・・!) 男は清麿の動揺に気付いたのか、車体の揺れに関係なく、確信的に身体を押し付けてきた。もともと混みあっている車内で、人と人との隙間は無いに等しい。その中を、容赦なく力を込めて身体を押し付けてくる。 (いっ・・・た・・・!) その男は、清麿より少し背が高い程度だから、大人としては小柄だろう。そのため、男の息遣いが直接清麿の首筋にかかる。それもわざとなのかどうか、性的な事に疎い清麿には解らなかった。ただ、不規則で生臭い息をつかれる度、吐きそうになるのを懸命に堪える。 今更ながら、華が『ラッシュは避けろ』と云っていた本当の意味がようやく解った。何となく、男の自分には関係の無い話だと思っていたが、現実にそういう嗜好の人間はいるし、背後の男にした所で、今の自分の性別を理解してやっているのかどうか分かったものではない。認めるのは悔しいが、同じくらいの身長ならば、クラスの女子の方が余程しっかりした体つきになっているのだ。─もっとも、そんなことが分かった所で手の打ちようもないのだが。 (声・・・声上げなきゃ・・・) 解ってはいたが、しかしなかなか声は出せなかった。相手は一見しておかしな所など無い、ごく普通の大人に見える。もしも水掛け論になったら、周りの大人たちは子供の云い分を信じてくれるだろうか。 第一、証拠も無い。満員電車が揺れれば身体が触れるのは当たり前なのだ。逆にそこを責められたら・・・ (ひっ・・・・・・!) 考えすぎて泥沼にハマりかけた時、腰の辺りを撫ぜられて思わず息を呑み込んだ。どうやら抵抗は無いものと決め込んだらしい。柔らかなラインにぴったりと手を添えて、揺れに合わせて巧みに動いてくる。 もう我慢も限界だった。ここまでされれば現行犯だ。思いっきり声を上げてやろうと、清麿は息を吸い込んだ。 が。 (・・・あれ・・・?) 声が出ない。 もう一度、深く息を吸いこんでみた。だがやはり、空気が気道を通り抜けるひゅーひゅーという微かな音が聞こえるだけで、声を生み出す喉の震えが全く無い。 (なんでっ・・・・・・!?) 声変わりの初期段階で、声そのものが出なくなる事は稀にある。まして、今日は華を送り出して以来、ほとんど声らしい声を発していなかった。闇雲に声を出そうとすればするほど、どういう風にすれば声が出るのか、それすら解らなくなってくる。パニックによる一時的な声の喪失は、逃げ場の無くなった清麿を更なる恐慌に陥らせていた。 (やだっ・・・触んな・・・!) 男が身体ごと露骨に密着してくる。必死で身をよじって逃れようとすると、前に手を回された。押さえつけるように力を込めた後、男の手はそれ以上動かなかったが、清麿の身を竦ませるには充分だった。急所の上に他人の手があるという、原始的な恐怖が、わずかな身動きすら封じてしまう。 頭がぼうっと熱く、何も考えられなかった。処理しきれない感情が水滴になり、涙腺ににじみ出す。 それが零れ落ちそうになって、我に返った。そして再び男の手をリアルに感じた。 (・・・・っう・・・・) この男に対してはもちろんだが、それ以上に憎しみが募るのは、自分自身の身体に対して。 大人だったら。強い力があれば。こんな奴の好きになんかさせないのに。 茶髪の男のたくましい腕を思い出す。 力が欲しい。強くなりたい。 こんな、こんな身体なんか。 車内アナウンスが次の駅名を告げ、電車が次第にスピードを落とす。次に開く扉がこちら側だということも、清麿の耳には入らなかった。 男の手が、息遣いが、止まった。 (そっか、茶髪じゃなくて金髪だったんだ) そんな、どうでもいいことがなぜか頭に浮かぶ。 「落ち着いて。もう大丈夫だから」 柔らかな低い声が、これ以上清麿を傷つけないよう優しく耳に響く。 「・・・大丈夫だよ、バンビーナ」 青い瞳が、力強く微笑みかけた。 |