アイズ・ワイド・シャット





(3)



自分の咳で目が覚めた。
途端、背中を中心に走る鈍い痛みを、清麿は背を丸めてやり過ごす。しばらくそうしていると、わずかながらに呼吸が整い、それと共に少しずつ周りの様子が頭に入ってきた。
頬を刺す草の感触、むせ返るような草いきれ、けたたましい鳥の鳴き声・・・
(鳥!?)
瞬間、背筋を冷たいものが這い、目を開けた。
「ガッシュ・・・ッ」
勢いで身を起こそうとして失敗する。そのまま再び倒れこんだ清麿は、目の前に咲く花が、見覚えのない色彩を帯びているのに気がついた。
─いや。
(花だけじゃない・・・草も・・・?)
目の前には、鬱蒼と云っても良いほどに青々と雑草が茂っている。さっきまで戦っていたのは、人気のない建設予定地だったはずだ。整地されたそこに、草花の生い茂る余地など無かったと云うのに。
「ここは・・・一体・・・・」
どこだ、という言葉を飲み込んで、清麿は辺りを見回した。
パートナーの姿は─ ない。
ひんやりと冷たい空気はわずかに湿気を含んでいて、眩しいほどに降りそそいでいた太陽の光も、ほとんど感じない。だが、陽が落ちた訳ではない証拠に、木々の隙間から微かな、けれど強い光がまっすぐに零れ落ちていた。
一言で表すならば深い森。だが、常識的な日本の森とは、どこかが奇妙にズレている。一番の違いはスケールだろう。人の頭ほどもある大きな葉、見上げても梢の先が見えないほどの大樹など、少なくとも近隣では在り得ない。
にも関わらず、清麿は確かにこの森を知っていた。
正確に云うならば、この森と同じ植生を持つ世界を。

(・・・まさか・・・)

かなり痛みの引いた背中を刺激しないよう、そろそろと身を起こす。幸い出血はしておらず、骨にも異状は無いようだ。頭は打っていないので、立ち上がっても問題は無かった。
そんな風に努めて冷静に検分できたのは、思ったよりケガが軽かったせいもあるが、何よりは手の中にある赤い本のためだろう。
どれほどの非常事態であっても、本さえ無事ならば、少なくとも最悪の事態ではない。
そう考えたその時、"何か"の気配を感じて、清麿は動きを止めた。

何かが─いる

眼を凝らしても、目の前には陰鬱な森が広がるばかり。時折風に吹かれた葉が鳴る以外は、特に何かが動く気配はない。
にも関わらず、戦いで研ぎ澄まされた本能は警告する。
空気を揺らさぬよう、できる限り静かに振り返った。
その先には─

(灯り・・・?)

黒い森の中に、ぼんやりと灯るオレンジ色の光が3つ。
先の見えない世界に灯る希望のように、それは優しい光を放っていた。
思考を停止してすがってしまってもおかしくない程、柔らかく、慈愛に満ちた光。
なのに、どうしてか心臓の鼓動は、早鐘のようにますます激しくなってゆく。
どくんどくんという響きが耳の中一杯に膨らんで、喧しいほどだった鳥の声も最早届かない。
張り付きそうな程、カラカラに乾いた喉を鳴らし、清麿は半歩後ずさった。
間違えようもない。
これは─殺気、だ。

弾かれたように走り出した清麿の背後で、森がざわめき、何かが飛び出した。
清麿がもしそのまま立ち止まっていれば、淡いオレンジ色の双眸に加え、額を縦に裂いたような第三眼を持つ、黒い獣の姿を見ることが出来ただろう。
そして次の瞬間には、その鋭い歯牙によって切り裂かれていたはずだった。
真黒な顔の中心が裂け、真赤な舌が覗く。
獣は予想外な"獲物"の活きの良さを喜び、穏やかに微笑むように舌なめずりをした。

視界の端に真黒な獣の影を映し、清麿は走る。





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