<A.M. 8:00> (-10h00m)

(・・・ッ!なんなんだ一体!)
今見たものを分析する間も惜しんで、虎鉄は走り出した。
間違えようも無く、あれは確かに綾崎ハヤテだった。それも、初めて逢った時と同じようなメイド姿。あの時は呪いだかなんだか、とにかく不可抗力であの姿をしていたのだと聞いたが。
それにしても何故、誰に追われているのか。
次々浮かぶ虎鉄の疑問に呼応するかのように、並走して追手側が姿を現した。いかにも屈強そうな体を黒いスーツで覆った、強面の男たち。
(何!?)
その黒服には見覚えがある。「ひな祭り祭」で、かの少年執事の主をガードしていた、三千院家のSPだった。
(三千院家のSPならば身内じゃないか・・・!)
驚愕が虎鉄の足を緩めた。その一瞬で、次々と黒服の男達が脇をすり抜けていく。我に返って失態に舌打ちをすると、SPとは別の道に入った。
解らない事だらけだったが、とにかく追いかけるしかなかった。幸いここはよく知る公園の敷地内だ。ショートカットは造作も無いが、頭の中で地図を思い描いて、嫌な予感に眉根を寄せた。
(この先は確か造園工事で行き止まりのはず・・・追い込まれるぞ!)
「いたぞ!逃がすな!!」
思う間もなく、まさにその方角からSP達の声が飛んできた。
いかに常人離れした戦闘力を持つハヤテとは云え、20人近くいたであろうSP達を相手に、ただで済むとは思えない。
(無事でいろよ綾崎・・・ッ!)
常ならばあり得ない、祈るような気持ちで走り抜けた。
その先で見たものは─
「な・・・ッ!」
捨てられたオモチャのように地に転がる、黒服の男達。先ほどまで追い詰める側だった筈の彼らが、一様に地に伏せ呻き声を上げている。
そしてその中心に、少年はいた。
ロングスカートの裾も、可憐に髪をまとめたカチューシャも、息ひとつ乱す事無く、端然と。
か細い両腕の先に、自分の倍はありそうな巨体を高々と掲げて。
(─追い込まれたんじゃない。迎撃したんだ)
対・複数戦では不利にしかならない身軽さを、逆手にとって袋小路に誘い込み、飛び込んでくる相手の自重をも利用して一撃で倒す─
間違いなく、プロの手際だった。
「あや・・・さき・・・」
無意識に声をかけると、黒服の襟首を掴んだまま、視線だけが鋭く動いてこちらを見た。次の瞬間手首を翻し、信じられないスピードで巨体を投げつけてくる。
「うわッ!!」
思考する間などあるはずも無い。ギリギリで身をかわすと、少年はその影から次の攻撃を仕掛けてきた。今SPを投げつけたばかりの左手が、手刀の形で閃く。だが、虎鉄は惑わされず避けると、更にその死角から目潰しを狙っていた右手を捕らえた。
か細い腕を捩じ上げるように拘束にかかると、囚われた少年の瞳は虎鉄ではなく虎鉄の手を見ていた。何故こうなっているのかわからないと云わんばかりの、何も映さない瞳でまじまじと。
「・・・ッ俺だ、綾崎!」
何が起きているのか、解らないのはこちらの方だ。感情の失せた瞳に、胸を掴まれるような痛ましさを覚えてその名を叫ぶと、しなやかな少年の体がふわりと反対方向に揺れ、流れるような回避技で難なく逃げられた。軸足を変えるついでとばかりに繰り出された蹴りをすかさず避けると、無機質な瞳に初めて表情の色が浮かぶ。
何かを探るような、測るような。
(・・・?)
真意を掴み損ねて戸惑う虎鉄に、少年が再び動いた。拳を水平に構えてなぎ払うように、体ごと顎を狙う。ウエイトの軽い女性や子供でも有効な打撃技だが、脳を直接揺さぶられるのだから下手をすれば失神ではすまない。
だが、一撃目はフェイクだと見抜いた虎鉄はそれをかわし、その腕を掴む。
捕らえられた利き手には構わず、本命の二撃目が下から伸びてくる。まともに喰らったらしばらくは再起不能に違いないと思わせる、重みのある掌底。
「綾崎いッ!」
虎鉄はそれすら掴んで回避すると、そのまま華奢な体を足払いした。庇うべき両手を封じられている少年は、受身を取れずに地面に叩きつけられる。
─はずだった。
「・・・・てて・・・・」
落ちる瞬間、虎鉄は器用にその下敷きになっていた。無我夢中で受け止めた少年は、ぱちくりと不思議そうに、大きな眼を見開いてこちらを見ている。
「大丈夫か・・・綾崎・・・」
問えば意外なほど素直にこっくりと頷き返される。ほっと息を吐いて、地面にしたたか打ち付けた肩を一瞥すると、ごろりと仰向けになった。
(あー・・・空が青い・・・)
さすがに疲れて声も出ない。
しばらくそうした後、視界に陰りを感じて目を開けると、相変わらずこちらを覗き込んでいる少年と目が合った。無防備ともいえるその表情に思わず動悸を早めると、次の瞬間には心臓が止まりそうになる。
少年が、今までに見せた事も無いような、とろけそうな笑顔で微笑みかけてきたから。
「あ・・・あやさき・・・ッ!?」
そうして、衝撃のあまり起き上がろうとする虎鉄を押し留め、そのまま覆いかぶさってくる。
ふわりと、いい匂いが鼻腔をかすめた。
少年の髪から香るそれは、いい加減まともな思考が繋げられなくなっている虎鉄にとって、まさにトドメの一撃だった。力を込めたら壊れてしまいそうな体を、かき抱くようにその背に両腕を交差させ─
「あ、綾崎ーーーッ・・・・・・え?」
もっと近くで、と顔を寄せたところで、くーくーと安らかな、規則正しい吐息に気付く。
(は・・・はははは・・・)
訊きたい事は山ほどあったが、安心しきった子供のような寝顔をみせる少年を叩き起こす訳にもいかず、虎鉄は心地良い重みを感じながら乾いた笑いを浮かべた。
(まぁいいか・・・どうせ今日はサボりだ)
話を訊く時間なら、嫌という程あるに違いないから。



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