<A.M. 12:15> (-5h45m)



随分久し振りに、その声を聞いたような気がした。けれどまだ夢の中にいる証左のように、ほんの少し少女の面影を残した、やや舌足らずな声。
「今も?」
「時々。」
眠りと目覚めの境界線のように、ふわふわと甘えたトーン。今のハヤテは『どちら』だろう?
「・・・でも、」
ハヤテは手の中に残ったスティックを、オーバースローに構えた。
「僕、ほんとは甘いものってそんなに好きじゃないんです」
─ 云うや、ピッと鋭い音をたててそれを投げつけた!
「ってぇッ!」
その方向から、だみ声交じりの悲鳴と共に、何かが茂みに倒れる音がする。と同時に、どこからこんなに湧いたんだと思うほどに、わらわらと立ち上がる黒服の男たち。
やれやれ、ご苦労な事だな全く。
「三千院のチビッコは帰ったはずだよな?」
問い掛けると、リーダー格らしい黒服の1人が返事をした。
「ナギお嬢さまの御命令だ。事情が変わったので、その少年を一刻も早く連れて帰れと」
「ふーん。で?チビッコは?」
「お嬢さまは屋敷でお待ちだ」
会話は終りとばかりに、黒服たちがじりじりと動き出した。いつの間にか背後にまで回り込んでいる。囲む気だ。
隣をちらりと伺う。ハヤテは、虎鉄の袖を掴んだまま、じっと身を硬くしていた。
その瞳が、今朝のように表情を失くしかけているのを見て、
「綾崎」
虎鉄は、そっと囁いた。
「わかるか?これは鬼ごっこだ」
ハヤテが、ぴくりと反応した。
「・・・おにごっこ・・・」
「そ。あっちのにーさん達が鬼。俺たちは逃げる方な」
「にげる・・・いっしょに?」
「ああ。俺たちなら負けない。そうだろ?」
「・・・うん!」
ハヤテの笑顔を合図に地を蹴った。
決して油断していた訳ではない黒服達も、一斉に動き出す。が、相手が悪かった。
雲霞の如く群がってくる黒服の隙間を、ハヤテは巧みにすり抜ける。それは楽しそうな、極上の笑顔で。
そうだ、それでいい。これは鬼ごっこなんだから、楽しまなきゃ損だ。
ハヤテの背後で無粋にも木刀を取り出した一団を、虎鉄はまとめて肘打ちでなぎ払った。
「アソビにエモノは無しだっての・・・っと」
ハヤテはそれには気付かなかったようだ。ひとしきり撹乱し、上気した頬で、眼を輝かせながら虎鉄の傍まで戻ってきた。
「よし、走るぞ!」
手を繋いで走り出す。
なんだかまるで、駆け落ちする2人みたいだなと暢気に考えて苦笑する。もしくは、男女2人の逃亡犯か。
それもいいかも知れない。好きな子と2人、手に手を取って世界の果てまで。
─で、最後は正気に戻った綾崎に倒されるとか?
(ありえねぇ。ギャグ映画じゃあるまいし)
あまりのシュールさに顔をしかめて、早々に脳内の上映会を打ち切った。隣を見ると、髪を躍らせて走るハヤテと眼が合う。にこりと返される悪戯っ子じみた笑顔に、いっそこのまま人攫いになってしまおうかと、出来もしない事を思った。




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