<A.M. 11:00> (-7h00m)
「すまなかったな、結構歩かせてしまって」
自動販売機でスポーツドリンクを買うと、一気に半分ほど飲み干した。木陰のベンチに腰掛けたハヤテには、好みが判らなかったのでとりあえずアイスティーを渡すが、喉を潤す程度に少しだけ口をつけて、すぐに両手を下ろしてしまった。
「なんだ、食べないのか?それ」
スカートの膝の上には、ラッピングされたままのキャンディ。指差すと、ハヤテが顔を上げて虎鉄を見た。
悲壮とも云える、その表情で。
「・・・あのな、綾崎」
虎鉄は、ハヤテの隣に腰掛けると、びくりと揺れたその肩には気付かない振りをして、云った。
「俺は、見返りが欲しくてそれをあげた訳じゃないから」
弾かれたように瞳を揺らしたハヤテに、なるべく優しく、空気も揺らさないように気遣いながら、言葉を紡ぐ。届くかどうかは判らない。けれど、云わなくてはならない。
この、たかが飴ひとつで自分を差し出そうとしている少年に。
***
「なあ綾崎、お前もう少しワガママになったっていいんだぞ」
そう云われて、ハヤテはきょとんとした表情で相手を見返した。"何を云っているのか解らない"と、言葉には乗せずに瞳で問うと、彼の口から苦笑が漏れる。
「無条件で何かもらったり、優しくされたことは?」
そう訊かれると、少しだけ哀しくなった。
過分な(と少年が思い込んでいる)幸せの先には、いつだって搾取という名の理不尽な要求が待っていた。世界はそうして動いているものだと思っていたから、代償が払えなければ、当り前のように自身を差し出してきた。それは労働力の類の時もあれば、文字通りの意味合いの時もある。それをする事はそんなに嫌いではなかった。そうすれば自分自身が、少しは価値あるもののように思うことができたから。
だから今もこうして、もらったものに対して返す事を選択したのに。
何故か、胸が痛かった。
見返りは欲しくないと云われたから?
自分はやっぱりそんな価値などないと知らされたから?
・・・違うような、気がした。
この痛みはもっと、それ以前に受けたもののような気がした。
それは、いつ?
***
虎鉄は、俯いてしまった少年の横顔を見詰めながら、殊更普通の調子で続けた。
「─そうか。けど、今は違うだろ?あのチビッコだって、ウチのお嬢だって、・・・ああ、あの怖いメイドもいたっけな。まぁそんな連中が、見返りなんか関係無しに、みんなお前に優しくしたくてたまんねえんだよ」
ハヤテが顔を上げた。言葉は無くても、何が訊きたいのか、どんな言葉が欲しいのか、そのせつない表情を見れば痛いほど解る。それはきっと、ずっと欲しがっていて、けれど得られなかった言葉に違いないから。だからためらいなく口にした。
「みんな、お前の事が好きだからさ」
こんな言葉で救われるなら、100万回だって云ってやるのに。
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