<A.M. 11:30> (-6h30m)
「・・・すき・・・」
「そう。好き」
「すき・・・?」
「ああ」
まるで初めてもらった宝物のように、"好き"という言葉を舌の上で転がすハヤテを見ている内に、虎鉄は『これはヤバい』と思い始めていた。
可愛い。
抱き締めたい。
ギュッとしてキスしたい。
・・・等々、男として至極真っ当な情動が今更のように込み上げ、理性崩壊までのカウントダウンが頭の片隅で明滅し始める。
しかし、ここでそんな不埒な行動に出れば、文字通り何もかもが終わってしまう。相手はまだ子供、子供と云い聞かせながら、しかし空前の愛らしさを見せる想い人を目の前にして、何もせずに終われるほど聖人君子でもなければ枯れてもいない。
どうする俺!?
─ と、金融会社のCMのような思いがちらつく中、汗と一緒に噴出しそうになる衝動を必死で抑えていると。
ハヤテがじっと、虎鉄の眼を覗き込んでいるのに気付いた。
「え・・・あ、何?」
「・・・あなたは?」
「え?」
問い返しても、もう言葉は無かった。スカートの膝をぎゅっと握り締め、大きな瞳を潤ませるハヤテから眼が離せないままに、必死で会話の流れを思い出す。今、俺は何を訊かれたのだろう?
(あ・・・)
程なくして、思い当たる。馬鹿だと思った。他の連中の事ばかりで、じゃあ目の前にいるこの男は一体何なんだ?
「俺も」
勢い込んで口を開いた虎鉄を、ハヤテが見詰める。期待と不安をない交ぜにした瞳を揺らして。
「俺も、お前が好きだよ」
お前は覚えてないだろうけど。と、心の中で付け加える。既に何度目かわからない告白。でも、何度だって繰り返してやる。
魔法が解けたら、きっといつも通りお前は逃げるんだろうけど。それでも。
***
ハヤテは、ぱあぁと表情を明るくすると、いそいそとキャンディを取り出した。おぼつかない手つきでラッピングを解くと、スティックに刺さったジェリービーンズが3つ、バナナのような形で連なっている。ハヤテはそのひとつを取り出して、虎鉄に差し出した。
ちょっと得意げな、無邪気そのものの笑顔に、つられて虎鉄も笑顔になる。同時に、このハヤテはまだ子供なのだ、という事を思い知った。
(危ない危ない・・・思わずやらかしちまう所だった・・・)
キャンディをひと口舐めて、虎鉄は内心の冷汗を拭う。
甘いものは好きでも嫌いでもないので、甘んじておすそ分けを頂いた。散々運動した後だから、今はこの甘ったるい位の糖分が有難い。しばらくぺろぺろと舐めていると、ハヤテがまた、じっとこちらを見詰めている。
「・・・えっと・・・これ?」
自分が舐めているキャンディを指差すと、ハヤテが嬉しそうにこくこくと頷いた。それはまぁ、元々こちらがあげたものだから、構わないと云えば構わないが・・・。
「でもな、ほら俺が舐めちまったし・・・って、おいぃぃッ」
まだ開けていない包みを指した虎鉄をよそに、ハヤテがぱくりとその手に持ったキャンディにかぶりついた。
(か・・・間接キ・・・というか、これは・・・ッ)
手を離す事もできず、凝固している虎鉄を尻目に、ハヤテはおいしそうにキャンディを舐めている。思わず体ごと手を引くと、ハヤテは伏せていた眼を開けて、やや不満げに虎鉄を一瞥。
・・・そのまま構わず唇でキャンディを追いかける。
しかも、上半身を支える左手は、御丁寧にも虎鉄の膝の上。
(〜〜〜〜〜〜〜って、お前なーーーーーーッッッ)
そのヴィジュアルは、男としてのなけなしの理性を打ち砕くには充分だった。
今度こそリミッターの外れた虎鉄が、鼻息も荒く、その華奢な両肩を掴む。
─が。
遊ぶの?
ねえ遊ぶの?
なにして遊ぶの?
・・・と、云っているようにしか見えない無垢な眼差しに撃ち抜かれて、虎鉄はがっくりと項垂れた。
(・・・・できねぇッ・・・できるかよこんな犬猫みたいな眼で見られて・・・・ッ)
心の中で血の涙を流しつつ、ハヤテの手を取ると、そっとキャンディのスティックを持たせた。ついでにその肩をできるだけ自然に押しやって、『節度ある距離』を確保する。
(あああ・・・・グッバイ俺のチャンス・・・・!!)
ぐったりと背もたれに体を預ける虎鉄の隣で、ハヤテがくすりと笑みを洩らした。
その笑顔は、先ほどまでの子供のようなそれとは、少しだけ、違って。
「・・・綾崎・・・?」
何となく、その気配を感じた虎鉄は、背筋を起こしてハヤテを見る。ハヤテはつと立ち上がると、スカートの裾を翻して、くるりと鮮やかに半ターン。
背中を向けるハヤテを、虎鉄は今更ながらに(きれいだな)と思った。
「・・・僕が、女の子だったら、連れて行ってもらえたのかも知れないって・・・思いました」
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